2010年8月14日土曜日

『欲望という名の電車』マーロン・ブランド

アメリカ映画の黄金時代は、51年の『欲望という名の電車』で始まり、79年の『地獄の黙示録』で終わったと言えなくもない。両方とも主演した俳優はマーロン・ブランド、扱いにくさではトップクラスといわれながら、ブランドは時代の先端を疾走した。彼を育てたのは、ロシア演劇スタニスラフスキーの演技理論を元にした「アクターズ・スタジオ」。
かずかずの性格俳優、ジェームス・ディーン、ポール・ニューマン、ダスティン・ホフマン、ロバート・デニーロ、アル・パチーノらを排出した演技学校である。これまでの既成概念にあてはまらない自由で、刺激的な演技を披露した。生々しい彼らの演技は、若い世代の観客の支持を集め、ハリウッドに新しい時代の到来を告げた。
映画の舞台になったニューオーリンズには「欲望(Desire)」「極楽(Elysian Fields)」といった変わった名前の通りがあり、『欲望という名の電車』は、「欲望通り(Desire Street)」を走っていた電車である。この電車には「Desire」という表示がされていた。『欲望という名の電車』(A Streetcar Named Desire)とはシンボリックなタイトルである。
この映画では、テネシー・ウィリアムズの同名の戯曲をエリア・カザンが監督し、『風と共に去りぬ』(1939)でアカデミー主演女優賞を受賞したビビアン・リーが主演した。ブランドは脇役であるが、重要な役であるステラの夫の役を演じた。主人公は名家出身の女性ブランチ。社会に適応できないブランチは堕落し、やがて故郷を追われて妹のステラの下に身を寄せる。しかし、ステラの夫スタンリーは退役軍人で粗野な工場労働者だった。ブランチは暴言・罵倒、挙句に隠していた過去を晒され、暴行される。ブランチは痛めつけられ、施設に入れられる。
結末は悲惨である。何時も雨が降っているような映画である。じめじめしたニューオーリンズの風土ならありえる話で、わたしも現地に行ってみたが、乾いた米国とは異質な世界である。この映画でブランドは粗野で男くさい新しいタイプのスターとして一躍注目される存在になり、ビビアン・リーは消えていった。スカーレット・オハラは新しいスターと交代した。

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