2010年8月1日日曜日

英国の父権は世界一

英国の父権は世界一と書くとたちどころに異論が来るだろう。そんな筈はない、英国は女王の国だ、さらに女性首相にサッチャーがいたではないか。世界一のカカア殿下、いや失言、レディー・ファーストの国であるからして父権が世界一になりようがないではないか。まあ大体こんな反応が返ってくるだろう。
ところがである、英国王室ですら父権に母親は口を出さないのである。たとえ理不尽な父親の権勢の行使に対してもだ。エディンバラ公フィリップの場合、よく公衆の面前で息子のチャールズ皇太子を激しく叱責した。たいがいは父親の理不尽な理由であったらしい。周囲の者はやきもきしたが、一貫して女王はいっさい口をはさまなかった。父権を認めていたのである。
もうひとりのチャールズの場合、父権によってあやうくその稀有な才能がつぶされそうになった。『種の起源』を世に生み出した「ビーグル号の航海」に博物学者としてチャールズ・ダーウィンが乗りこむことに父親のロバート・ダーウィンは猛反対したのだ。断わりの手紙まで書かせた。当時22才になっていてしかも学者として評価されていた成人の意志を認めなかったほど父権は強かったのである。救ったのは叔父の生物学者ジョシア・ウェジウッドであった。彼がいなかったらダーウィンの進化論は無かったかもしれない。
やけに強い父権を振り回す背景には中世いらいの「弱い父ヨセフ」に対するキリスト教徒の拭いがたきコンプレックスがあると思われる。ヨセフは母マリア、子イエスに比してかなり影が薄い。英国人の父権へのこだわりにそれを許したくない気持ちがあるのではないか。
かくて中世以降の英国は父権国家?になる。帝国主義の時代の潮流に便乗してパターナリズム(父権主義)として確立される。当たり障りなく支配するのにこれはけっこう役に立った。現地人を父親のように善導する、英国王室が父権をもって当たるわけだ。今もなお、エディンバラ公フィリップは英連邦の元植民地の現地人に以下のような言葉をかけている。「あなたたちはほとんど海賊の子孫なのではないのですか?」(1994年ケイマン諸島訪問時、現地人に質問)。「なんとか食べられずに済んだのですね」(1998年パプアニューギニアを探検した学生に発言)。「まだ槍を投げ合っているのですか?」(2002年オーストラリア訪問時、オーストラリア先住民ビジネスマンに質問)。これらは皮肉でも冗句でもない。ほんとうに父親として心配しているのである。

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