2010年8月15日日曜日

『波止場』から『八月十五夜の茶屋』への転向

マーロン・ブランドは映画『波止場』(1954年)で主役を射止める。監督はエリア・カザン。ブランドの演技は冴えわたり、この映画が代表的なメソッド演技といまでも評価されている。しかし役作りはこころに反作用を及ぼした。心理療法を専門医なしで行うようなものである。情緒不安定となり、隠れて病院の診療科に通うようになる。以後の役者人生に深刻な影響を及ぼした。また同時に恩師であるエリア・カザンの身辺にも深刻な事件が生じていた。冷戦が始まった52年に共産主義者の疑いをかけられたカザンは、身の潔白を証明するために共産党員の疑いのある11人の友人の名前を非米活動委員会に公表したのだ。自分は『波止場』では仲間を救うために命をささげる主人公を演じたのに恩師であるエリア・カザンは仲間を売って自分が助かろうとした。許せるものではない。ここでもブランドの精神は壊れてしまった。翌年の55年、エリア・カザンが監督の『エデンの東』の主役のオファーがきたがブランドは断わった。代役はジェームス・ディーンであった。ジェームス・ディーンはブランドのコピーを忠実に演じた。断わったブランドが選択したのが『八月十五夜の茶屋』だった。この映画のタイトルの8月15日は戦勝国の戦勝記念日を意味するもので戦勝国のおごりを表現したものであった。撮影はもめにもめて2年がかりで56年に完成した。その間の状況は子役として共演した沢村美司子さんから聞いているが。監督のダニエル・マンとブラントはことごとく意見が衝突し、しばしば撮影は中止されたという。内容はコメディでわれわれには荒唐無稽としか言えないもので、はっきり言って沖縄のアメリカ進駐軍のプロパガンダ映画そのものである。ブランドが演じた日本人通訳サキニもキモイ男であり、俳優としてのブランドのキャリアにはなりえないと思うが意外なことに彼は満足していた。わたしは何故ブランドが『エデンの東』を断わり『八月十五夜の茶屋』を選択したのかその後の出演作を見て分かった。精神を病んでいるものにとってメソッド演技がどんなにキツイものであるか。かれはメソッド演技法から逃れたかったのだ。役を作りに作ればサキニなり、ゴッド・ファーザーになり、地獄の黙示録になるのだ。仮面をつけて演技するのも役者の道なのだと悟ったのだと思う。ところでブランドの女癖の悪さは有名であるがとくに東洋の女性に目がなかった。沢村みつ子さんは14歳だったので対象外とのことであるが、共演の清川虹子には猛烈にアタックしたらしい(清川虹子著『泣いて笑って芝居して』によると結婚を迫られたそうだ)が『八月十五夜の茶屋』の時に夢中になっていたのがインド人女優アンナ・カシュフィで映画の完成後即結婚したところをみると清川女史の思い込みか?思い込みは、良い思い出になるので清川女史は同じコメディアンの伴淳三郎と結婚したことの方が良かった筈。結婚した方には不幸が待っていた。ブランドの愛はビビアンにあったのではないかと想像する。残念ながら証拠がないのであくまでも創造とする。アンナ・カシュフィはビビアン・リーのコピーだった。インド、ダージリン生まれのアイルランド人との混血という経歴は彼女の親族が全面否定しているのだ。カシュフィのいう経歴はビビアン・リーの経歴に他ならない。恐らくブランドの気持ちを推し量ってビビアンの経歴を詐称したのであろう。いじらしい女性だ。後に二人の結婚は破局し、いまカシュフィはトレーラーハウス暮らしでブランドの思いでのみで生きている。<写真>マーロン・ブランドとアンナ・カシュフィ                                

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