2010年9月21日火曜日

人と犬との真実~ひとはいぬに飼われている

犬と人間との関係ほど、お互いの誤解にもとづいて成りったている関係はない。男と女ならいずれ誤解が解消することもあるが、犬ではその可能性はない。これは永遠につづく誤解である。そもそも人間が犬を飼っているのか、犬に人間が飼われているのか、そのあたりからして怪しい。「犬が完全にその家の主人の地位を奪い、飼い主を脅して従わせ、命令を下すようになった」といった例はわたしの身近にいくらでもある。人が犬を選んだのではない、犬がわれわれ人間を選んだのだ、人間は犬に捕らえられてしまったのだというのが、最近の考古学と行動科学の結論だ。ダーウィンやローレンツが、狼とジャッカルが混血して犬になったと信じていたことや洞くつに住んでいた古代人が狼の子を連れてきて飼いならしたのが犬になったという古典的物語を支持する生物学者はほとんどいない。さて遺伝子の突然変異で狼の捕食本能や警戒心が欠如して生まれたのが原始犬である。DNA鑑定では原始犬が狼から分岐したのが13万5千年前。考古学では確実に犬だとされる化石は1万4千年前、中東のいくつかの地点で発見されている。人間と犬が同じ生活圏で化石として発見されているが、親密になる前の付かず離れずの関係は結構長かったのは確かだ。ラテン語で犬カニスCanisは古代ローマ人がいう「たかり屋」である。原始犬は人間が出す生ゴミや糞を食って生きていた。ゴミ捨て場を縄張りにするとその地域の狼を寄せ付けなかった。狼は人間と原始犬のまわりをいつもうろうろしていたわけだが、原始犬は人間の力を借り狼を追い払うのに成功した。いまや狼は生存競争にやぶれ動物園にいるのみの存在になってしまった。一方原始犬は約7千年まえに飼い犬と野良犬に分かれ現在では1億頭あまりが地球上あまねく繁殖している。ある時人間は原始犬を飼い犬にしてしまった。人間は大きな目をした丸い顔の小さな動物にめっぽう弱い。じっと見つめられると何とかしてあげたくなる。家の中に入れてしまった。犬という「たかり屋」まんまと乗せられてしまったのだ。人間は9億人が飢餓に苦しんでいるというのに「お犬さま」は働かず、ペットフードは食べ放題、1日に一度は人間を綱で引っ張りながら散歩を欠かさない毎日を楽しんでいる。

2010年8月15日日曜日

『波止場』から『八月十五夜の茶屋』への転向

マーロン・ブランドは映画『波止場』(1954年)で主役を射止める。監督はエリア・カザン。ブランドの演技は冴えわたり、この映画が代表的なメソッド演技といまでも評価されている。しかし役作りはこころに反作用を及ぼした。心理療法を専門医なしで行うようなものである。情緒不安定となり、隠れて病院の診療科に通うようになる。以後の役者人生に深刻な影響を及ぼした。また同時に恩師であるエリア・カザンの身辺にも深刻な事件が生じていた。冷戦が始まった52年に共産主義者の疑いをかけられたカザンは、身の潔白を証明するために共産党員の疑いのある11人の友人の名前を非米活動委員会に公表したのだ。自分は『波止場』では仲間を救うために命をささげる主人公を演じたのに恩師であるエリア・カザンは仲間を売って自分が助かろうとした。許せるものではない。ここでもブランドの精神は壊れてしまった。翌年の55年、エリア・カザンが監督の『エデンの東』の主役のオファーがきたがブランドは断わった。代役はジェームス・ディーンであった。ジェームス・ディーンはブランドのコピーを忠実に演じた。断わったブランドが選択したのが『八月十五夜の茶屋』だった。この映画のタイトルの8月15日は戦勝国の戦勝記念日を意味するもので戦勝国のおごりを表現したものであった。撮影はもめにもめて2年がかりで56年に完成した。その間の状況は子役として共演した沢村美司子さんから聞いているが。監督のダニエル・マンとブラントはことごとく意見が衝突し、しばしば撮影は中止されたという。内容はコメディでわれわれには荒唐無稽としか言えないもので、はっきり言って沖縄のアメリカ進駐軍のプロパガンダ映画そのものである。ブランドが演じた日本人通訳サキニもキモイ男であり、俳優としてのブランドのキャリアにはなりえないと思うが意外なことに彼は満足していた。わたしは何故ブランドが『エデンの東』を断わり『八月十五夜の茶屋』を選択したのかその後の出演作を見て分かった。精神を病んでいるものにとってメソッド演技がどんなにキツイものであるか。かれはメソッド演技法から逃れたかったのだ。役を作りに作ればサキニなり、ゴッド・ファーザーになり、地獄の黙示録になるのだ。仮面をつけて演技するのも役者の道なのだと悟ったのだと思う。ところでブランドの女癖の悪さは有名であるがとくに東洋の女性に目がなかった。沢村みつ子さんは14歳だったので対象外とのことであるが、共演の清川虹子には猛烈にアタックしたらしい(清川虹子著『泣いて笑って芝居して』によると結婚を迫られたそうだ)が『八月十五夜の茶屋』の時に夢中になっていたのがインド人女優アンナ・カシュフィで映画の完成後即結婚したところをみると清川女史の思い込みか?思い込みは、良い思い出になるので清川女史は同じコメディアンの伴淳三郎と結婚したことの方が良かった筈。結婚した方には不幸が待っていた。ブランドの愛はビビアンにあったのではないかと想像する。残念ながら証拠がないのであくまでも創造とする。アンナ・カシュフィはビビアン・リーのコピーだった。インド、ダージリン生まれのアイルランド人との混血という経歴は彼女の親族が全面否定しているのだ。カシュフィのいう経歴はビビアン・リーの経歴に他ならない。恐らくブランドの気持ちを推し量ってビビアンの経歴を詐称したのであろう。いじらしい女性だ。後に二人の結婚は破局し、いまカシュフィはトレーラーハウス暮らしでブランドの思いでのみで生きている。<写真>マーロン・ブランドとアンナ・カシュフィ                                

2010年8月14日土曜日

『欲望という名の電車』マーロン・ブランド

アメリカ映画の黄金時代は、51年の『欲望という名の電車』で始まり、79年の『地獄の黙示録』で終わったと言えなくもない。両方とも主演した俳優はマーロン・ブランド、扱いにくさではトップクラスといわれながら、ブランドは時代の先端を疾走した。彼を育てたのは、ロシア演劇スタニスラフスキーの演技理論を元にした「アクターズ・スタジオ」。
かずかずの性格俳優、ジェームス・ディーン、ポール・ニューマン、ダスティン・ホフマン、ロバート・デニーロ、アル・パチーノらを排出した演技学校である。これまでの既成概念にあてはまらない自由で、刺激的な演技を披露した。生々しい彼らの演技は、若い世代の観客の支持を集め、ハリウッドに新しい時代の到来を告げた。
映画の舞台になったニューオーリンズには「欲望(Desire)」「極楽(Elysian Fields)」といった変わった名前の通りがあり、『欲望という名の電車』は、「欲望通り(Desire Street)」を走っていた電車である。この電車には「Desire」という表示がされていた。『欲望という名の電車』(A Streetcar Named Desire)とはシンボリックなタイトルである。
この映画では、テネシー・ウィリアムズの同名の戯曲をエリア・カザンが監督し、『風と共に去りぬ』(1939)でアカデミー主演女優賞を受賞したビビアン・リーが主演した。ブランドは脇役であるが、重要な役であるステラの夫の役を演じた。主人公は名家出身の女性ブランチ。社会に適応できないブランチは堕落し、やがて故郷を追われて妹のステラの下に身を寄せる。しかし、ステラの夫スタンリーは退役軍人で粗野な工場労働者だった。ブランチは暴言・罵倒、挙句に隠していた過去を晒され、暴行される。ブランチは痛めつけられ、施設に入れられる。
結末は悲惨である。何時も雨が降っているような映画である。じめじめしたニューオーリンズの風土ならありえる話で、わたしも現地に行ってみたが、乾いた米国とは異質な世界である。この映画でブランドは粗野で男くさい新しいタイプのスターとして一躍注目される存在になり、ビビアン・リーは消えていった。スカーレット・オハラは新しいスターと交代した。

2010年8月1日日曜日

英国の父権は世界一

英国の父権は世界一と書くとたちどころに異論が来るだろう。そんな筈はない、英国は女王の国だ、さらに女性首相にサッチャーがいたではないか。世界一のカカア殿下、いや失言、レディー・ファーストの国であるからして父権が世界一になりようがないではないか。まあ大体こんな反応が返ってくるだろう。
ところがである、英国王室ですら父権に母親は口を出さないのである。たとえ理不尽な父親の権勢の行使に対してもだ。エディンバラ公フィリップの場合、よく公衆の面前で息子のチャールズ皇太子を激しく叱責した。たいがいは父親の理不尽な理由であったらしい。周囲の者はやきもきしたが、一貫して女王はいっさい口をはさまなかった。父権を認めていたのである。
もうひとりのチャールズの場合、父権によってあやうくその稀有な才能がつぶされそうになった。『種の起源』を世に生み出した「ビーグル号の航海」に博物学者としてチャールズ・ダーウィンが乗りこむことに父親のロバート・ダーウィンは猛反対したのだ。断わりの手紙まで書かせた。当時22才になっていてしかも学者として評価されていた成人の意志を認めなかったほど父権は強かったのである。救ったのは叔父の生物学者ジョシア・ウェジウッドであった。彼がいなかったらダーウィンの進化論は無かったかもしれない。
やけに強い父権を振り回す背景には中世いらいの「弱い父ヨセフ」に対するキリスト教徒の拭いがたきコンプレックスがあると思われる。ヨセフは母マリア、子イエスに比してかなり影が薄い。英国人の父権へのこだわりにそれを許したくない気持ちがあるのではないか。
かくて中世以降の英国は父権国家?になる。帝国主義の時代の潮流に便乗してパターナリズム(父権主義)として確立される。当たり障りなく支配するのにこれはけっこう役に立った。現地人を父親のように善導する、英国王室が父権をもって当たるわけだ。今もなお、エディンバラ公フィリップは英連邦の元植民地の現地人に以下のような言葉をかけている。「あなたたちはほとんど海賊の子孫なのではないのですか?」(1994年ケイマン諸島訪問時、現地人に質問)。「なんとか食べられずに済んだのですね」(1998年パプアニューギニアを探検した学生に発言)。「まだ槍を投げ合っているのですか?」(2002年オーストラリア訪問時、オーストラリア先住民ビジネスマンに質問)。これらは皮肉でも冗句でもない。ほんとうに父親として心配しているのである。

2010年7月24日土曜日

打ち水「サギ」大作戦

この週末、全国紙に「打ち水大作戦2010」の全面広告が相次いで掲載された。事務局は「日本水フォーラム」いままで下町の片隅で行われてきたこじんまりした企画が一挙に国交省、環境省、東京都、政府環境局の後援を受け、カネをかけた大々的な作戦に変貌した。一体何があったのだろうか。おそらく協賛団体に名前を連ねている建設コンサルタント会社のひとたちはほぞを噛む思いをしているだろう。誇大妄想としか言いようのない企画に巻き込まれたことにだ。そもそも打ち水で真夏の気温を2℃下げることができると思うこと自体ばかげている。計算は簡単なことだ。東京都全体の面積×地表から少なくとも10mの大気を2℃下げるための必要エネルギーはいくらになるか、建物、歩道の放射熱も計算にいれて。新米の建設コンサルタントにでもできる計算だ。しかし主催者はTV放映でつまらぬ詐欺実験をしてくれた。サーモグラフィで舗道のアスファルトの表面温度を測定したのだ。ほら10℃下がりましたと。たしかに表面は冷えるがその1㎝下は高熱のまま、散水をやめればたちまち元どおりになる。詐欺だ。TV実験では元の気温に戻るのに30分もかからなかった。表面の温度しか測定できないサーモグラフィを使う実験は99%詐欺と思った方がよい。装置が高ければ高いほどひとを騙せる。安い方法はいくらでもある。この場合、実験効果を見極める簡単な方法は、地上10mに温度計を置いて時間変化を見ればよい。桶一杯の水ではたぶん何の変化もないだろう。「おんだんかなんてとまらなくてもいいから あなたのなみだをとめられるなら つめたくなったこころをあたためられるなら みずをもっておもてにでよう ひとはひとりじゃいられないから ひとりってことはありえないようにできているから だれかといっしょにいっせいに ひとりじゃないから うちみずだいさくせん」これが1億円以上もかけた広告コピーのことば。何が言いたいのかさっぱりわからない。はじめから温暖化を止める気がないのは分かるが。情緒的なことばの羅列で最後は打ち水を一緒にやりましょうと締めくくる。ムダな労力とおカネの「打ち水大作戦」は8月23日までの1カ月つづく。日本の環境政策の貧弱さと非科学性の象徴として。

2010年7月17日土曜日

熱くて哀しき綱吉

動物愛護法に関しては英国よりも日本や朝鮮の方が先進国である。殺生戒がある仏教の強い影響のせいなのだろうか、6世紀には動物殺生禁止令が百済、新羅、大和で施行されている。
ところで貞享2年(1685年)、第4代徳川将軍綱吉は最初の生類憐みとなる『江戸町触』を出した。以後25年間にわたり計135回この『町触れ』は出された。動機は巷間いろいろと言われているが、どうもこの将軍の特異な性格に起因するようだ。ともかくこの将軍は当時のことばで言う「まめやか」なのだ。その「まめやか」振りは度外れていた。
『生類憐みの令』の目的は当時の人心の精神改造だった。儒学の「仁のこころ」でいまだ残る戦国のすさんだ気風の一掃を図ったのであるが、やりかたがよくない、いちいち箸の上げ下げに口を出すようなやりかたであった。
第1回目は「先日も申し渡したように、御なり遊ばされる道筋に犬や猫が出てきても苦しゅうないから、どこの御なりなされる場合でも犬猫をつないでおかなくてよいぞ」(以下、『黄門さまと犬公方』の訳を引用)、『町触れ』は矢継ぎ早に出てくる。犬どうしが喧嘩をしたときには怪我をさせぬように水をかけて引き分けよ』ここで、疑心暗鬼の町人どもは、「おッお~」ときた。ピンと生来の魂にうったえるものを感じたのだ。すかさず、町中に「水わけ水」と書いた桶とひしゃくを置き、「犬」という字を紋どころにした揃いの羽織を番人着せ警備させたのだ。おちょくりである。しかし将軍さまは軽く受け流すことができぬ性格ゆえ「そこまでしなくてもよいぞ、ただし犬は粗末にせずにいたわってやるのだぞ」と丁寧に対応している。以後ひとつひとつ「まめやか」に答えていく。この調子で、25年間に亘る泥沼の闘いにはいっていった。ついには町中の犬は飼い犬も含めて江戸中から一掃された。殺したのではない。すべて幕府直営の犬屋敷きに収容したのだ。江戸近隣に数か所つくられたが、そのひとつの中野の犬屋敷は30万坪、ゴルフ場に匹敵する広さであった。ばかばかしさも極まれりと思うのだが真面目な人には通じない。こうした泥沼は綱吉の死をもってあっけなく終了する。後継の将軍家宣は死の枕辺で「生類憐みの令」の即時廃止を決めたのだ。所詮養子である、義父の切なる継続の願いなど聞く耳をもたなかった。ここで考える。誰よりも熱く懸命に儒学の理想に燃えた綱吉の一生であったが、無念があるとすれば、もうすこし子づくりに励めばよかったのだ。不肖の養子にちゃぶ台返しをされずに済んだのである。

2010年7月12日月曜日

猫いじめの動物愛護国イギリス

スコッチ・コリー、スコッチ・テリアと見た目も性格もよい好印象の犬に対してどうも英国では「猫」は歩が悪いようだ。そもそも英国産の猫で見栄えのする猫はいない。美的にも性格的にも猫は評価が低い。英国ウォッチャーの定説では、猫の性格と英国人の性格とは相性がよくないことになっている。原因は両方にある。両方とも性格が悪い。まず英国人の性格の悪さについて述べてみよう。同じ島国の日本にも似たところがあるからあまり強く言えないが、英国人の性格の最大の欠点は弱い者いじめが大好きなのである。今回は動物いじめの話だけに限るが、動物虐待禁止法ができた1835年まで、イギリスの下層階級は「牛いじめ」「熊いじめ」「雄鶏いじめ」などの「動物いじめ」を娯楽にしていた。上流階級も負けてはいない。「ライオンいじめ」「狐いじめ」「兎いじめ」を娯楽とスポーツにしていた。これには長~い、長~い歴史がある。いまだに英国貴族はその習慣が抜けていないが。英国には「猫いじめ」はないが、いじめの代わりに、英国人はいちばん頻繁に、いちばん熱心に猫を中傷してきた。その中傷を箇条書きにすると、猫は①領地の生物を密猟する②小型だが野生の猛獣と憎いほど似ている③外見を変えようとする繁殖家に抵抗する。つまり相手を勝手に選びSEXする。④態度が悪い。主人を好きなのか、嫌いなのか、信用しているのか、いないのかがわからない。つまり可愛気がない。結論としては、「猫というのは著しく劣った家事使用人で、お上品で官能的快楽に溺れ、もっと気高い性質にかけているために、高貴で寛大な人の共感が得られない」と言うわけだ。でも、これはよく考えると猫ではなく英国婦人のことではないかと思う。ご婦人がたの前で言えないから「猫」に託して言ったのではないか。英国の男たちの情けない姿が垣間見えてしまった。日本も似たり寄ったりだと言われれば返すことばはないが。だから、御同輩!猫いじめは止めましょうや、猫は化けて出ますから、負けるが勝ちですよ。